カヤマナオのプロフィール

ゼロトップデザインワークスはフリーランスのクリエイターであるカヤマナオ(香山直)が一人で運営する個人事業のデザイン事務所です。

カヤマナオの生態について

名前 香山 直 かやま なお
性別 上州男子
身長 179cm
靴のサイズ 29cm
誕生日 9.28(伊達公子氏と同じ)
出生地 群馬県太田市
最終学歴 群馬大学 社会情報学部 社会倫理思想研究室
血液型 極めて純粋なA型
好きな食物 チキン、黒ごまプリン、野沢菜
好きな飲物 ゲロルシュタイナー、ジンジャーエール
嫌いな食物 ホルモン
嫌いな飲物 アルコール
好きなスタジオ スタジオ・ジブリ
履ける靴 主に29cm以上があるナイキ・ニューバランス
趣味 フットサル、サッカー観戦、読書、登山、料理
サポーター

鹿島アントラーズ、ASローマ、ドイツ代表

好きな作家 三谷幸喜、乙一、オノナツメなど
大事なモノ 健康、家族、個性
座右の銘 瞋恚は三毒の一つなり
好きなTV

相棒

情熱大陸

プロフェッショナル

やべっちFC

世界の果てまでいってQ

LIFE

浦沢直樹の漫勉

ピタゴラスイッチ

SPEC

素敵な文章をつづる。

奇抜なアイデアと企画を創出する

上手に子どもに納豆を食べさせる

 


カヤマナオの略歴

1979年

群馬県太田市て香山家の長男として生を受ける。

黒光りするおさるさんのような風貌だったが、次第に人間に進化し、現在は一応、人類の形状をしている。

1983年

なかよし幼稚園に満を持して入園。

学友となかよく過ごすこともなく、孤高の園児として自らのお遊び道を邁進する。お泊り保育で強制されたナスの味噌汁によってナスがトラウマ化するが、類まれなる精神力で30代半ばにして克服する。

1986年

引っ越しをした未開の地で小学校入学。

どうやって友達100人作ろうかと悩んだが、100人もいらないと気がつく。4年生から少年野球を始め、1番セカンドとして小さく活躍。将来の夢は「プロ野球選手」。

1992年

中学に入学し、運命(ディスティニー)を感じてサッカー部へ入部。甲子園ではなく国立を目指す。初めてみたプロサッカーの試合がジーコ率いる鹿島アントラーズだったため、そこから鹿島一筋の鹿人生が始まる。

1993年

ドーハの悲劇を体験し、矢吹ジョーの気持ちがよく分かる。

1995年

家から一番近いから、という不純な理由で県立太田東高校へ入学。

さして楽しくない高校生活を送る。

サッカー部では怪我に泣かされ、受験勉強と教習所に泣かされ、涙も枯れ果てる。

1997年

38度の高熱に寝込みながら、ジョホールバルの歓喜を体験する。生きてて良かったと初めて思う。

1998年

家から一番近く学費が安い国立大という不純な理由から、群馬大学社会情報学部に入学。

1年時は、高校教育とさして変わらない学習内容に嫌気がさし、本気で退学を考えるが、恩師である教授の倫理思想研究に遭遇し開眼。3年時から、学内でも変わり者ぞろいで密かに有名な社会倫理思想研究室に所属し、その「変わり者っぷり」を存分に発揮する。

第二外国語は「フランスワールドカップがあるから」という理由でフランス語に。すぐに後悔する。

卒業論文は、貴志祐介著「青の炎」を題材にした「ココロノヤミ」というタイトルのダークながら、高らかに愛を唄った迷作で、指導教授に「もうそのへんでやめておきなさい」と釘を刺されるほどの大長編であった。

2002年

就職活動なんてやなこったい、と時流に逆らい、大学四年時よりアルバイトをしていたフリーペーパー制作会社に入社する。

営業、記者、編集をバリバリとこなし、ここで初めて「デザインの道具としてのMac」に出会う。

その後、「ある種音楽性の違い」から、退社し、タイミングよく始まった日韓ワールドカップを片っ端から堪能する。

ベルギー戦、鈴木隆行のつま先ゴールは、人生史上最高のゴールとして、現在もランキング一位を堅持し続けている。

2003年

ハローワークの若年トライアル雇用で、どういう訳かデザイン事務所に就職し、なぜかグラフィックデザイナーになる。トンボも知らないのに、印刷のデータを作成し、ことごとく損失を出す。

女子だけの職場に慣れ、何の違和感もなく女子会に参加出来てしまうおねえ体質を獲得する。

2004年

スーパーのチラシを作ってサンマやマヨネーズやらを並べる生活に嫌気が差し、職場をチェンジ。将来の独立を見据え、すべての工程を堪能できる小さな印刷所を狙って就職する。

2006年

我らがゴールデンエイジの集大成となるはずだったドイツワールドカップで惨敗し、リビングにて中田ポーズで打ちひしがれる。

母親に「外で寝ろ」と言われる。

2008年

ストレスからじんましんがあっちこっちに発症するようになり、「このままでは死んでしまう、かゆすぎて!」と発作のようなカタチでサラリーマンとはさよならバイバイし、

その春、満を持してZEROTOP DESIGN WORKSを設立。

太田の片隅で、ひっそりと、誰にも知られないように活動を始める。

2009年

自分が似顔絵を描けることを知り、

似顔絵名刺の専門サイト・名刺魂5005を開始する。

2010年

南アフリカワールドカップを堪能する。

日本代表が予想外の活動を見せると「俺は岡ちゃんやると思っていた」と周囲に吹聴して回る。

2011年

誰でも簡単に更新ができるホームページサービスJimdoを使ったホームページ制作・ホームページ魂を開始する。

2012年

愛妻と電撃スピート入籍し、周囲に「何なんだあいつは」と反感を買う。

2013年

ゼロトップ熊谷支店「ゼロクマ」を開設し、ホームページをJimdoにて制作。

NPO法人デザインファーム21の監事に就任する。

2014年

ゼロトップ2014〜魂革命〜を合言葉に、それはもういろいろなことをやろうと画策する。

単なるデザイン制作を超えた企画立案からフィニッシュまでのプロジェクトを担当する機会が増え、企画の達人として「東毛の小山薫堂」になると心に決める。

ブラジルワールドカップで惨敗する日本代表を観て「世の中うまくいかねえなあ」とつぶやく。

2015年

2月に長男が生まれたことで、自動的に「パパ」の称号を手に入れる。「乳は出ないが、父にはなれる!」を合言葉に日々、おむつを変えるスピードと正確さに磨きをかける日々を送る。

2016年

太田市で家を購入し、熊谷からリターンエース。

35年ローンという呪いの言葉に負けず、のほほんと暮らす。

印刷物制作、ウェブデザイン、コピーライティングはもちろん、広告宣伝プロデュースや集客コンサルタントとしても、暗躍。

2017年

2歳の息子に「アンパンチ」でめった打ちにされる幸せな日々。

ライティング事業を強化し、WEB制作会社様からご依頼をいただいて、取材・執筆を精力的に行う。

2018年

次男が誕生し、再び、ミルクづくりとおむつ交換をメインとした人生を送り始める。

鹿島アントラーズと香山直の悲願だったACL制覇を達成し、男泣きする。

2019年

活動を休止していたフットサルクラブ「A.C.SPADA」を再起動し、GM(ゼネラルマネージャー)に就任する。